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地震から20日

東北地方太平洋沖地震が発生して、20日が過ぎた。

大きな地震と津波は、一瞬で何もかもを壊した。
この地震で亡くなった方は10,000人を超えてしまった。
大事な家族が、友達が、ご近所の方が、いっしょに働いてきた人たちが、亡くなってしまった。
思い出のつまった家や場所、おいしい野菜や果物を作ってきた田んぼや畑も。
わたしが泣いたってどうしようもないって分かってるけど、泣けて泣けて仕方ない。苦しい。

職場へ行けば、いつもの毎日、いつもの仕事、いつもの利用者さん、いつもの仲間。
休みの日に友達に会えば、変わらない笑顔。
わたしには変わらない日常がある。
でもそれを失った人たちがたくさんいる。

それでも、でも、被災地の人たちは、強い。
そして被災地を助けようとするみんなの心も強くてあったかい。
救援物資、募金、節電。
瓦礫からたくさんの人を助け出した自衛隊、電気やガス、水道の復旧などにあたる人たち。
すごい。
すごいパワーなのです。

泣くのではなく、わたしにはなにができるのかな。
今は募金しかできない。
ううん、わたしは募金ができる。
できないことに嘆くのではなく、わたしにでもできることをする。

そして、わたしが元気でいること。
わたしが元気じゃなきゃ、誰も助けられない。
わたしは仕事とか、自分の日常をがんばる。
そしてわたしができることを考える。
もしできることがみつかったらそれを力いっぱいがんばる。

これ以上被害が拡大しませんように。
ひとりでも多くの方が無事で見つかりますように。
がんばってふんばって前を向こうとしている被災地の方々に、どうか一日でも早く、落ち着ける日が来ますように。

世界に伝えたい、真実の物語「GATE」

覚え書きのメモです。

このドキュメント映画を見た1月8日はいろんなことがありすぎて、うまくまとめられません。
でも、伝えたい。
いつかきちんと記事にまとめたいです。

映画「GATE」の上映会に行ってきました。

1.原爆の火というものが燃え続けていて、それを原爆が産まれた地アメリカの核実験の地「トリニティサイト」へ運ぶこと。そういう事実を知った。知らなかった自分が恥ずかしいと思った。

2.世界核兵器解体基金、の存在。
パンフレットには、「核兵器がもともとわたしたちの税金で作られたのならば、なぜ、税金を納めている市民であるわたしたちの力で核兵器を解体できないのか」と書かれています。
核は、エネルギーにもなります。300ほどの核を15年分の電力に変えることもできるのです。

3.トリニティサイトへのゲートは、厳重な体制がひかれていて、今までにも核の撲滅を訴えてゲートをくぐろうとした人は数えきれないほどいる。
映画に登場した僧侶は、そのゲートをくぐることを許可された。
奇跡に近いことだと思う。
涙が止まらなかった。
ホワイトハウスが、ゲートに関しては権限を持っているそうだ。

4.大田住職が、原爆の火で燃えた灰を拾い集め終わり、その箱を持ち上げたときの表情がとても切なくて、こころにドカっと来た。
いつもやさしい笑みを浮かべていた住職。
あの瞬間だけ、言葉では表現できない表情だった。
もう、声をあげて泣いてしまいそうなのを、必死に我慢した。

5.わたしは人を殺したいと思ったことがあった。
復讐心は新たな復讐を産むだけ。
戦争は核をなくせばなくなるものではなく、人のこころが起こすもの。
今は殺したいと思った人を許したわけではない。
でも、もうそれは昔のこと。
今のわたしを作った過去のできごとだけど、ただ、それだけ。
もう、大丈夫。
わたしには大切な人がたくさんいて、それだけを信じていけばよいのだと思った。
でも、そう思う環境に身をおけているからそう思うのかな。

6.他の人が書いたブログを読んでほしい。わたし、うまく書けない。
でも、みんなに知ってほしい。
できれば、絶対見てほしい。

映画の上映会をしてくれた、ハッピーヨガの湯谷さん、本当にありがとうございました。
参加費や、グッズ売上金は、全て、核兵器解体活動に使われるそうです。

夜中にクサく思うこと

寝る前に受信メールを少し見返した。

そしたら、わたしには、わたしを支えてくれてるひとが、まわりにたくさんいてくれることを、改めて感じた。
そうしたらいっぱい涙が出てきた。

ケイタイと目を閉じて、ベッドに転んだら、その、支えてくれているひとたちの顔がいっぱい浮かんできた。

相手はわたしのこと、もしかしたらイヤやなって思ってるひともいるかもしれない。
でも、そんなこと関係ないんやって思った。
わたしが、相手のひとがいてくれてよかったって思えたら、それはすごくありがたいことだ。

なにより、わたしはやっぱりひとりじゃない。

いっぱい出た涙の分だけ、明日からもがんばろう。
まわりにいてくれるひとたちに、感謝の気持ちを、なにかの形でお返しできるようにがんばろう。

「結構です」

「大丈夫です」とか「間に合ってます」とかって意味の「結構です」。

例えばスーパーで買い物してレジのとき、ゼリーを買ったら店員さんが
「スプーンをおつけしますか?」とたずねてくれたとき、いらないとします。
そのとき、「結構です」って言いますよね。

わたし、その「結構です」をうまく使えません><

「結構です」だとなんだか冷たく聞こえてしまう気がします。

社会的にはそんなことない言葉なのかな?
大人が使う一般的な言葉だと、頭では思うのに、スマートに使ってみたいと思うけど、けど。。。なんだかうまく使えない。

なんでだろう??

日本語しか使えないけど、日本語ってムズカシイ(笑)!

「ただいま それぞれの居場所」

※うまくまとまってません※

7月23日に介護のドキュメンタリー映画「ただいま それぞれの居場所」上映会のお手伝いにスタッフTさん、Nくんと行ってきました。

会場はリージョンプラザ。
上映会は19時〜。

リージョンプラザ内の「お城ホール」に入るのさえ初めてなわたしは、ちょっと高級感漂う会場にドキドキしていました。

わたしはパンフレットなどの販売のお手伝い。

来場者さんが入ったあとは、わたしたちお手伝いも上映を見させていただきました。

………号泣でした。

ドキュメンタリーだからありのままが映し出されている。

介護保険制度が始まって10年経って、いろんな介護のサービスが増えた。

だけど、介護が必要なんだけど、制度の枠組みからはみ出てしまうような人もいる。
一般的に「問題行動」を起こしてしまうタイプの人たちは、施設から退去を強要され、点々としていた。

そういった人たちを受け入れる施設、介護保険制度にとらわれず、自主事業で施設を運営している場所がある。

そこでは、その人をありのまま受け入れて接している。
一般的な施設は朝バイタルチェックして、入浴、昼食、レクリエーションタイム、と時間でなにを行うか決められている。

でも病気だから、症状だから、という目で見ない。
その「ひと」そのものを介護する。

介護とは、人と深く関わること。

もうとにかく涙が止まらない。
人はすごい。
わたしも施設で働いた経験があるけど、そんな風にはもちろんできていなかった。
ひとをありのまま、受け入れるのは想像以上難しい。


お父さん、お母さん、おばあちゃん、親が、さらにその親がいて、自分はいる。
ひとはいつか老いる。
介護とは自分のゆく道を見させていただいていること。
もう、なんで泣けてくるのかも自分でも分からない。
とにかく痛くてあたたかくて、ほしくていらなくて。

ただ、言えるのは「見れて、よかった」。

「ただいま」と言う場所は、一ヶ所でなくて、何ヶ所もあっていいんだって。
TさんとNくんと、職場に戻ったら「ただいま、やね」って話ながら戻りました。

「ただいま」って言える場所に、感謝、です。
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