スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

篤姫 無血開城

話題:篤姫


歴史もの、特に戦国時代や江戸時代あたりのものを読むと、こういう言葉が出てきます。

『士は己を知るものの為に死す』

士は武士とか侍とか言う意味で、大名や君主、国王などに仕える人のこと。
士というものは己(つまり自分)を認めてくれ、能力や個性など全てを一番よく理解してくれる人の為なら、死をも恐れず働くものであり、
また逆に主従の関係は、そうあるべきだ、との戒めみたいな言葉なのだと思います。

私はこの言葉が大好きで、大奥が舞台のドラマ篤姫に魅かれるのも、
「本当に天璋院のような人に仕えることが出来たら、どれだけ素晴らしいだろう」
などと考えたりするからです。
男性なら、仕事などで社会へ出て活躍するのは当たり前ですが、女の身というのはわりと不自由なもので、
家族や家庭の事情など自分ではどうしようもない縛りがあったりします。
だからこそかも知れませんが、老女として采配を奮う滝山や幾島には憧れるし、天璋院のような女性は本当に尊敬してしまう。

その意味で、今回の西郷さんの気持ちはとてもよく解る気がするんです。

西郷にとって『己を知るもの』とはただひとり。
篤姫の父であった島津斉彬です。
斉彬は、下級藩士であった西郷を認め、破格の抜擢である庭士役として側に置き、あらゆる薫陶を施しました。
その恩義に報いる為、西郷はまさに粉骨砕身して存分に働き、活躍の場を得たのです。

西郷にとって斉彬は自分そのものであり、斉彬もまたそのように思い、全幅の信頼を置いていたでしょう。
だからこそ斉彬が他界した時に、西郷は自分さえもが全て死んだも同然に思え、実際に切腹しようとさえしています。

西郷という人の本質は、激しいほどの忠義の塊。忠烈とでも言うのでしょうか。
篤姫が「情熱き男」と言ったのはこのことだと思うんです。

斉彬亡きあとの西郷は、常に死に場所を求めていた気がします。
その熱い忠義の想いは日本国に向けられ、
「何がなんでも、徳川を叩き潰さねばならんとでごわす!」
新しい日本を作る。篤姫さえも視界に入らないほど一直線に、それが日本国の為と信じていたのです。

篤姫は勝海舟に、斉彬から篤姫に宛てた手紙を託し、西郷に渡します。
まさに西郷の心の奥の奥に届くよう願いをこめて。

それを見た西郷は飛び上がるほどに驚きます。
当時は手紙以外に通信手段は無いわけですから、おそらく文字を見るだけでその人の顔や声、ぬくもりさえ感じられたのではないでしょうか。

「殿・・・」
ありし日の斉彬の言葉や、国や民への想いが甦り、そしてそれは西郷の忠義の心を呼び覚ましました。

「私は、人を活かす道を選びとうございます」
しばらく忘れていた、本来の自分自身を取り戻した瞬間でした。
と同時に、
西郷ほどの人の心を見事に溶かした篤姫の想いの中に
彼は『己を知るもの』を見出だしのではないでしょうか。
私はそんなふうに思いました。


ともかく、江戸城は戦火を免れ、無事に無血開城。
ですが篤姫は迷います。

「最後の最後まで戦うべきでは無かったか?私は徳川を滅ぼしてしまったのではなかろうか?」
ここでサプライズ!

なんと、家定様がまぼろしとなって、篤姫に語り掛けてくるではないですか。
「上さま・・・」

家定の優しい眼差しに、篤姫はまるで少女のような気持ちに包まれたでしょう。
「御台よ。わしが遺したかったものは家でも城でもない。徳川の、心じゃ」

よう頑張ったではないか。と褒めてもらったようで、
今まで張り詰めていたものが、ふっと緩み涙がとめどなくあふれます。
「ひた向きに生きよ、御台!」

この家定という人もまた、愛すべき夫であったと同時に、
篤姫にとっての『己を知るもの』であったのではないでしょうか。

家定との接点は、ほんの短い間でしたが、その後の篤姫の全てを形作ったと言えなくもありません。
やはり、人と人とのつながりは時間の長さだけでは無いのだと、つくづく考えさせられます。

いつか私も、そんな人の為に生き、愛して。そして死にたい。
少し大げさかも知れませんが、今回の篤姫を観てそんなことをぼんやりと思いました。
皆様にも良い出会いがあるといいですね。

篤姫 大奥の使者


話題:篤姫


江戸城、総攻め。
錦の御旗を掲げる官軍は、ついに京を出立、篤姫の居る江戸城を攻撃する為に進軍を開始しました。
総大将は有栖川之宮、参謀は西郷吉之助・・・

歴史の不思議としか言いようの無い、運命の皮肉。
篤姫と和之宮それぞれに縁のある二人の男が、今は徳川家の人となった身を滅ぼすために戦をしようとしているのです。
であればこそ逆に、この戦を回避出来るのもまた、篤姫と和之宮、との考え方もあり、二人には共に徳川を守るという連帯感、あるいは同志の絆みたいなものも芽生えたかも知れません。

「私たちは、よく似ていますね・・・」
同じような境遇を辿ってきた二人の女性。
この歴史の大きな転換期に力を合わせて戦うこともまた、運命だったということなのでしょうか。

朝廷への二人の慶喜助命嘆願書は、直接には実を結びませんでしたが、巡り巡って大きな味方を得ることになる。
薩摩時代から輿入れ後しばらくまで、老女として篤姫を支えてきた幾島です。
大奥を辞したのち、再び近衛家に仕えていたこの人を運命の歯車が引き入れたのでした。

再会を喜び合うのも慌ただしく、西郷に直接宛てた篤姫からの書状を手に、幾島は官軍の本陣に乗り込みます。

かつては共に篤姫輿入れに奔走した者同士。しかも格としては上位であった幾島の顔を、西郷は懐かしくも畏れ多くも思って見たことでしょう。
そのうえ書状は篤姫直筆、今にも攻め入る西郷にさえ暖かい想いを込めたものでした。

泣き崩れる西郷ですが、しかしその意志を曲げることはありませんでした。

「徳川を叩き潰さねば、日本は変わりもはん!」
それを出来る者は己のみ。他の誰にもそこまでの決意を見出だせなかったのでしょう。
自ら極悪の汚名を背負い、心を鬼にして日本の為に西郷は命を捧げる覚悟でいたのです。
それだけに生半可なことで退くなど有り得ない話なのでした。

幾島から、あらましを聞いた篤姫。
「やはり西郷は昔のままじゃ・・・むしろ苦労を重ね、より磨きがかかり、さらに情熱き男になっておるようじゃ!」

「幾島、なんとかなるやも知れんぞ!」

篤姫の意外な反応に、幾島をはじめ居並ぶ大奥の老女たちも小首を傾げるばかり。

「必ず、なんとかなる!」
この篤姫の自信に満ちた言葉に、家臣たちの不安は幾分やわらいだでしょう。
どんな秘策があるのかは解りませんが、この篤姫の態度こそが私には大切に思えました。
窮地に追い詰められ、オロオロとしていては大将など勤まりません。
多少ハッタリだとしても部下を安心させることが、のちにどれだけの力として活きてくることか。

おそらく、篤姫はそんな意味も含め、あんな風に言ったのではないでしょうか。

いよいよ来週は江戸城無血開城。
西郷は何を見てあんなに驚いたのでしょう。
今から楽しみですね。

篤姫 慶喜救出


話題:篤姫


(・ω・;)リアルタイム見逃してしまい、再放送観た感想でっす。


「恥を晒して、生きて頂きます!」

慶喜は水戸徳川家の継嗣として生まれ、生きてきました。尊皇の家風を剛直に受け継ぎ、将軍職となる以前からも朝廷との交わりは深いものがあったとか。
しかも気位が高く、敗北と言えるような経験も数少なかったであろう彼にとって、
『朝敵』と呼ばれることがどれだけ屈辱的で恐ろしいことだったか。
単身であっさり逃げ帰ったかのように言われていますが、不利な情勢の中、善戦しつつ大阪城に退いたのちのこと。
負け戦となると、なかなかどうしようも無いもので、いくら大将が頑張ったところで、もうどうにもならなかったとも思え、
慶喜ばかり責めるのは少し可哀想な気がします。

とはいえ、大奥は慶喜を甚だ嫌いぬいているので
「徳川宗家を守るために慶喜の首を差し出すのじゃ!」
と騒ぎ、篤姫も困惑気味。

「慶喜に、会おう」
もはやこの時点で、徳川の命運は篤姫ひとりの采配にかかっていると言っても過言ではなく、
慶喜は実権を失った将軍となってしまいました。

このあとの慶喜と篤姫の会談シーンは、実際にあったのかどうかはわかりませんが、
「徳川の為、この首、差し出す覚悟は出来てござりまする」
と、声高に叫ぶ慶喜に篤姫は
「なりませぬ。慶喜どのには生きて頂きます!」

徳川家のすべての生き残ったものが「将軍を殺してまで命をつないだ卑怯者」とのそしりを受けることは恥となる。
との篤姫の言葉は衝撃的でした。

もしかしたら戦火を浴びて死んでしまうかも知れないのに、徳川宗家の誇りをこそ重視し、守るべきであるとの主張なのです。

命よりも大切なのは、魂であり精神であり、誇りなのです。
今の私たちの価値観では想像もつかない、壮絶な気高さを感じざるを得ません。

しかしそれは慶喜にとっては生き恥を晒す、この上もない過酷な屈辱でした。
それを受け入れた慶喜という人物も凄いと思いますが、そう説き伏せた篤姫の人物の大きさは、さらに上をゆくものでした。

「人のうえに立つということは、孤独なものです。それを一番よくおわかりだったのが、家茂公であり、わが夫、家定であり・・・。慶喜どのであらせられるのです」

「これまでのご苦労、お察しいたします」
深々と頭を下げ、労をねぎらう篤姫の言葉に、冷徹な慶喜も心を開いて心服したことでしょう。

まさに女として、嫁として、そして人のうえに立つものとしての心構えを篤姫は見事に体現している人だと思います。

これにより、慶喜は謹慎を貫き耐えることが出来、徳川宗家の存続ばかりか、
今なお日本人の、特に関東方面の人々からの尊崇の念を、徳川は保っているのだと思えてなりません。

篤姫 母からの文

話題:篤姫


「薩摩の女には、薩摩の女の、筋の通し方というものがあるのです」

篤姫の母、お幸の方は帯刀に言いました。彼女自身、嫁いでからは実家など顧みることなく、今泉島津家を守ってきたひとです。
そして篤姫にも、武家の娘としての心得を言い聞かせてきたことでしょう。
だから決して篤姫が薩摩に戻るなど有り得ないとわかっていました。
「私の産んだ子ですから・・・」
もう一度、朝晩を共に暮らせたら・・・。そんなささやかな願いさえも叶わない宿命。受け入れざるを得ない時代、身分。
現代を生きる私たちには想像もつかない悲しみだったと思います。

大奥では逆に、重野らが篤姫の立場を思い、薩摩へ引き取ってもらえないかと、篤姫に願い出ます。
涙ながらの訴えに、篤姫はいっそう勇気を奮い立たせ徳川を、そして大奥を守る決意を固くします。
「それは何故にございますか?」
篤姫の幸せを願う唐橋らは不思議に思いますが、

「それは、そちらが私の家族だからじゃ・・・」
微笑む篤姫の目にも涙が。

滝山をはじめ大奥の女中たちの多くは、少女時代から実家を出て奉公し、生涯不犯(結婚も恋愛もしない)の誓いを立てています。
哀れといえば哀れな身の上です。
けれど、このような主人に仕えることは彼女らにとって、この上もない喜びだったと思います。
命を捧げても悔いはない。そう考えたに違いありません。
このことで、主従の絆はいっそう、強く堅固になったのでした。

篤姫 将軍家定の人物像A


話題:篤姫


前回に続いて家定の人となりを、原作からの視点で見ていきます。

婚儀のあと、床入りとなる寝所で篤姫は家定とはじめて二人きりになる。
この時、家定は
『「これからよしなに頼む」といい、篤姫の手を取った。』
しばらくそうしたままでいたが、
『ふっと気がついて、というのは家定に取られた手の甲の冷たさに身ぶるいし、目を上げてみれば家定は篤姫の手を押し戴いて、その上に涙をしたたらせている。』

篤姫は天下の将軍たる家定のこの異様な行動に、危うく気を失うほどに驚き、
具合でも悪いのかと家定の身を案じて人を呼ぼうとしたが、
『家定は首を振って、「何もいたしはせぬ」と力ない声でそれを拒んだ』
私は大丈夫だから呼ばなくても良いと言っているのですが、
『青白く、痩せて小さく、いまにも倒れそうなほど脆弱であった』
と篤姫も感じたほど、とても弱々しい印象です。

『「御台よ」と呼びかけ、「今宵はゆっくりと休まれるがよい。婚儀というものは疲れるものじゃ」』
と言うと布団に入り、『肩まで夜具を引き上げて、じっと篤姫を見た。』
『それは子犬があたたかい犬小屋に戻り、安堵してこれから寝に就こうとしている姿に似ていて、篤姫はふっと心さそわれ、目と目が合ったとき、思わずにっこりとした。』

釣られて家定も一瞬だけ笑顔を見せたが、すぐに顔を引きつらせて背を向けてしまう。
このとき篤姫は「かわいらしいお方」と思い、全く不快に感じなかったという。

ドラマと同じように、このあとは何もないのですが、
体の弱い家定をいたわる気持ちと、むしろ自分が支えなければならぬという覚悟が篤姫にはあり、
それほど落胆もしなかったようです。

『篤姫の慰めは、夜具から首だけを出し、はにかんだようににっこりした家定の笑顔を見たことであって、この夜はもうこれで何を望むこともないようにさえ考えさせられる。』

このとき篤姫は21歳で家定は33歳です。
あまりと言えばあまりにも幼く、弱々しい家定像だと思いませんか?

ドラマでの家定はむしろ快活なバカ殿様みたいでしたが、
こちらは色んな意味で痛々しくて今にも死んでしまいそうな感じです。

さらに騒ぐ家臣達を一括して黙らせたり、世情を洞察して誰かに語ったりするなどのマトモな将軍らしい場面は無く、
癇癪(かんしゃく)を起こして喚いたり泣いたりしてばかり。
お志賀などは度々お渡りをせがんで家定に怒りを買い、
脇息(肘を置いて楽にもたれられる、和室の道具)で殴打され、
『脇息は足が折れて飛び、おしがの方は頬に大きな青あざができて三日ほど寝込んだ』のだとか。

とても愛すべきキャラクターではないですよね。

将軍となる以上、一定の王者教育は受けているはずだし、血筋も悪くない。
それなりの見識や知識はあったと思いますが、やはり育てられ方と病弱なのがかなりを邪魔をして
どうにも人物としての能力は発揮出来なかったようです。

原作はそんなひどい有様の将軍であっても、篤姫がその思慮深さと器量で支え、
苦悩しながらも全力で愛したことが細かく描かれてます。

その意味では本寿院の回でも言いましたが、
家定を美化することで(視聴者を引き付ける為の演出で)またまた篤姫の活躍や重要なエピソードが省略されていたりして、
ドラマではかなり違った印象になってしまってます。

お志賀に対する嫉妬に苦しみ、家定に泣いて問い詰めるシーンがありましたが、
あれなど女性としては共感しましたし、それが狙いなんでしょうが、
原作を読んだら篤姫が(多少の嫉妬はあったとしても)あんな事をするとはまず考えられません。

家定の話から少し逸れますが

幾島がお志賀が居ては(世継を挙げる為にも)篤姫の邪魔になると思い、
大奥から追放しましょうと進言したところ、篤姫は
『罪もとがもなく、ご奉公に励むものを、理由なくして暇をつかわすなどということは、この大奥の決まりを乱すもと。そしらぬ顔をしていやれ。騒ぎ立てるは見苦しい』
と説き伏せ、逆に幾島を感心させています。

このように篤姫が幾島を感服させた話は他にいくつもあり、しかも大奥に来てすぐのことです。

彼女が嫁として、女としての揺るぎない覚悟の、
そして人の上に立つ者としての天性の器量の持ち主だったことは、
その後の行動を見ても明らかだと思います。

なのにドラマでは意図的なのか、あるいは仕方なくなのかわかりませんが、それが描き切れてない。
周りの人物の脚色によってむしろ篤姫の凄さが霞んでしまっている。
本当に残念だと思います。



家定は最後のお渡りとなった夜、篤姫に遺言めいたことを言い残します。

この日、いつもは涙など見せない篤姫も、あまりの家定の弱り様と痛ましさに、声をあげて泣いてしまうほどでした。
後継者を紀州の慶福(のちの家茂)に決めたと打ち明け、
「予はこれまで、女性が表に口を出すことについて好ましくは思えなかったが、御台を見ているうち、その考えは少しづつ変わった。
御台は、予が知れる限りの女性のなかで識見兼ね備えたまことに立派な人となりであると思われる。
かのいにしえの源頼朝公の妻、政子どのの再来かとばかりに感じられるほどじゃ。政子どのは尼将軍と呼ばれ、女ながらも政務にたずさわったといわれるが、我が徳川家もそのひそみにならい、幼き慶福どのの後見として御台が表の執務をも見てとらせば、この政局は乗り切れよう。
御台はそれが立派に果たせる力を持っておられると予は見ておる。さすればこの宗家も、余人にくちばしを挟ませず、神君よりの血筋を保ち、のちのち反映を続けられることであろう。

頼む。御台よ。これより以後は紀州家を補佐して表の執務にも力をいたしてくれるように」

のちに最後まで徳川の女として生き抜き、宗家を守りぬいた篤姫の原点は、この家定の篤姫への強い期待と信頼が大きいと思うんです。
表の政務を握ることは井伊直弼に阻止されてしまいましたが、もし叶っていたなら歴史は大きく変わっていたかも知れません。

その意味では家定の人を見抜く力と判断力は、さすが将軍となっただけの人物、と思えます。
しかし妻とまともに交わることさえ出来ないほどの病弱では、将軍の座はいかにも重いものだったでしょう。

家定の死はドラマとほぼ同じような経緯で、篤姫に知らされたのはひと月もあとのことでした。
亡骸を拝することも許されず、この事がのちに篤姫をして家定暗殺への疑惑を抱かせることになります。

さらに後継となった家茂の死に際しては、この時と違い影響力を発揮できる立場だったので、篤姫はなかば強引にその亡骸を拝しています。
詳細は省きますが、その死顔を見て、篤姫は確信したと言います。
家定も家茂も、ともに何者かの思惑で殺害されたのだと。

ともかく、ドラマとはかなり印象の違うこの家定という人物ですが、しかし彼が病弱で頼りなく、世継も挙げられなかったからこそ、
篤姫は徳川の女として、いえむしろ女というものを捨てて能力を発揮出来たのだとも思えるのです。
まさに女として嫁として、いかに生きるべきなのかをこの物語は教えてくれていて、それは現代にも通じるものがあります。

家定とまでは言わないけれど、昨今の男性の貧弱さや頼りなさはよく伝えられるところ。
勿論、しっかりして欲しいとは思いますが、逆に女として強くならなければと、自分に照らし、
あらためて身が引き締まる思いでこの篤姫の物語を読ませて頂きました。



これで家定についてのお話は終わります。
長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。

今後も、思いつくまま興味の向くまま、頑張っていけたらと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。
前の記事へ 次の記事へ