話題:篤姫
前回に続いて家定の人となりを、原作からの視点で見ていきます。
婚儀のあと、床入りとなる寝所で篤姫は家定とはじめて二人きりになる。
この時、家定は
『「これからよしなに頼む」といい、篤姫の手を取った。』
しばらくそうしたままでいたが、
『ふっと気がついて、というのは家定に取られた手の甲の冷たさに身ぶるいし、目を上げてみれば家定は篤姫の手を押し戴いて、その上に涙をしたたらせている。』
篤姫は天下の将軍たる家定のこの異様な行動に、危うく気を失うほどに驚き、
具合でも悪いのかと家定の身を案じて人を呼ぼうとしたが、
『家定は首を振って、「何もいたしはせぬ」と力ない声でそれを拒んだ』
私は大丈夫だから呼ばなくても良いと言っているのですが、
『青白く、痩せて小さく、いまにも倒れそうなほど脆弱であった』
と篤姫も感じたほど、とても弱々しい印象です。
『「御台よ」と呼びかけ、「今宵はゆっくりと休まれるがよい。婚儀というものは疲れるものじゃ」』
と言うと布団に入り、『肩まで夜具を引き上げて、じっと篤姫を見た。』
『それは子犬があたたかい犬小屋に戻り、安堵してこれから寝に就こうとしている姿に似ていて、篤姫はふっと心さそわれ、目と目が合ったとき、思わずにっこりとした。』
釣られて家定も一瞬だけ笑顔を見せたが、すぐに顔を引きつらせて背を向けてしまう。
このとき篤姫は「かわいらしいお方」と思い、全く不快に感じなかったという。
ドラマと同じように、このあとは何もないのですが、
体の弱い家定をいたわる気持ちと、むしろ自分が支えなければならぬという覚悟が篤姫にはあり、
それほど落胆もしなかったようです。
『篤姫の慰めは、夜具から首だけを出し、はにかんだようににっこりした家定の笑顔を見たことであって、この夜はもうこれで何を望むこともないようにさえ考えさせられる。』
このとき篤姫は21歳で家定は33歳です。
あまりと言えばあまりにも幼く、弱々しい家定像だと思いませんか?
ドラマでの家定はむしろ快活なバカ殿様みたいでしたが、
こちらは色んな意味で痛々しくて今にも死んでしまいそうな感じです。
さらに騒ぐ家臣達を一括して黙らせたり、世情を洞察して誰かに語ったりするなどのマトモな将軍らしい場面は無く、
癇癪(かんしゃく)を起こして喚いたり泣いたりしてばかり。
お志賀などは度々お渡りをせがんで家定に怒りを買い、
脇息(肘を置いて楽にもたれられる、和室の道具)で殴打され、
『脇息は足が折れて飛び、おしがの方は頬に大きな青あざができて三日ほど寝込んだ』のだとか。
とても愛すべきキャラクターではないですよね。
将軍となる以上、一定の王者教育は受けているはずだし、血筋も悪くない。
それなりの見識や知識はあったと思いますが、やはり育てられ方と病弱なのがかなりを邪魔をして
どうにも人物としての能力は発揮出来なかったようです。
原作はそんなひどい有様の将軍であっても、篤姫がその思慮深さと器量で支え、
苦悩しながらも全力で愛したことが細かく描かれてます。
その意味では本寿院の回でも言いましたが、
家定を美化することで(視聴者を引き付ける為の演出で)またまた篤姫の活躍や重要なエピソードが省略されていたりして、
ドラマではかなり違った印象になってしまってます。
お志賀に対する嫉妬に苦しみ、家定に泣いて問い詰めるシーンがありましたが、
あれなど女性としては共感しましたし、それが狙いなんでしょうが、
原作を読んだら篤姫が(多少の嫉妬はあったとしても)あんな事をするとはまず考えられません。
家定の話から少し逸れますが
幾島がお志賀が居ては(世継を挙げる為にも)篤姫の邪魔になると思い、
大奥から追放しましょうと進言したところ、篤姫は
『罪もとがもなく、ご奉公に励むものを、理由なくして暇をつかわすなどということは、この大奥の決まりを乱すもと。そしらぬ顔をしていやれ。騒ぎ立てるは見苦しい』
と説き伏せ、逆に幾島を感心させています。
このように篤姫が幾島を感服させた話は他にいくつもあり、しかも大奥に来てすぐのことです。
彼女が嫁として、女としての揺るぎない覚悟の、
そして人の上に立つ者としての天性の器量の持ち主だったことは、
その後の行動を見ても明らかだと思います。
なのにドラマでは意図的なのか、あるいは仕方なくなのかわかりませんが、それが描き切れてない。
周りの人物の脚色によってむしろ篤姫の凄さが霞んでしまっている。
本当に残念だと思います。
家定は最後のお渡りとなった夜、篤姫に遺言めいたことを言い残します。
この日、いつもは涙など見せない篤姫も、あまりの家定の弱り様と痛ましさに、声をあげて泣いてしまうほどでした。
後継者を紀州の慶福(のちの家茂)に決めたと打ち明け、
「予はこれまで、女性が表に口を出すことについて好ましくは思えなかったが、御台を見ているうち、その考えは少しづつ変わった。
御台は、予が知れる限りの女性のなかで識見兼ね備えたまことに立派な人となりであると思われる。
かのいにしえの源頼朝公の妻、政子どのの再来かとばかりに感じられるほどじゃ。政子どのは尼将軍と呼ばれ、女ながらも政務にたずさわったといわれるが、我が徳川家もそのひそみにならい、幼き慶福どのの後見として御台が表の執務をも見てとらせば、この政局は乗り切れよう。
御台はそれが立派に果たせる力を持っておられると予は見ておる。さすればこの宗家も、余人にくちばしを挟ませず、神君よりの血筋を保ち、のちのち反映を続けられることであろう。
頼む。御台よ。これより以後は紀州家を補佐して表の執務にも力をいたしてくれるように」
のちに最後まで徳川の女として生き抜き、宗家を守りぬいた篤姫の原点は、この家定の篤姫への強い期待と信頼が大きいと思うんです。
表の政務を握ることは井伊直弼に阻止されてしまいましたが、もし叶っていたなら歴史は大きく変わっていたかも知れません。
その意味では家定の人を見抜く力と判断力は、さすが将軍となっただけの人物、と思えます。
しかし妻とまともに交わることさえ出来ないほどの病弱では、将軍の座はいかにも重いものだったでしょう。
家定の死はドラマとほぼ同じような経緯で、篤姫に知らされたのはひと月もあとのことでした。
亡骸を拝することも許されず、この事がのちに篤姫をして家定暗殺への疑惑を抱かせることになります。
さらに後継となった家茂の死に際しては、この時と違い影響力を発揮できる立場だったので、篤姫はなかば強引にその亡骸を拝しています。
詳細は省きますが、その死顔を見て、篤姫は確信したと言います。
家定も家茂も、ともに何者かの思惑で殺害されたのだと。
ともかく、ドラマとはかなり印象の違うこの家定という人物ですが、しかし彼が病弱で頼りなく、世継も挙げられなかったからこそ、
篤姫は徳川の女として、いえむしろ女というものを捨てて能力を発揮出来たのだとも思えるのです。
まさに女として嫁として、いかに生きるべきなのかをこの物語は教えてくれていて、それは現代にも通じるものがあります。
家定とまでは言わないけれど、昨今の男性の貧弱さや頼りなさはよく伝えられるところ。
勿論、しっかりして欲しいとは思いますが、逆に女として強くならなければと、自分に照らし、
あらためて身が引き締まる思いでこの篤姫の物語を読ませて頂きました。
これで家定についてのお話は終わります。
長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
今後も、思いつくまま興味の向くまま、頑張っていけたらと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。